FC2ブログ
今日の散歩 - 日本人が知らない日本の真の英雄たち
- 2019/03/11(Mon) -

 <悪事千里を走る> と言いますが、逆にいい話ほどなかなか聞こえてこないものです。
これは、60年もの間、日本の海軍中佐の遺族さえ知らなかった、本当の話です

 戦場では負傷や、海の場合、沈没のききにある既に戦闘力を失った兵士は非戦闘員として
救助するのが国際的ルールであっても、実際にはなかなか実践されない。 でもイギリス
海軍の軍艦にのっていた全てのイギリス軍兵士を救助した、日本海軍の駆逐艦、雷(いずち)
の艦長、工藤俊作中佐が発揮した<武士道の神髄>は欧米ではみられないものだった。 
救われた元イギリス海軍少尉、フォール卿はその体験を本にしました。翻訳本も出ています


 又、日本の天皇陛下が訪英する時、国内で沸き上がった反論は
フォール卿
が自分の体験を新聞に投稿したことで、沈静化したそうです。

 日本が浴びせられている様々な過去の歴史に関する非難について考えてみる時、私達
が知らなかった日本の軍隊、軍人はどんな人達だったのか? そして軍規をどこでも
守るような秩序ある人達だったのか否か? イメージを持つことは、様々な問題の
本質がどこにあるかを知るうえで、とても大切だと私は考えるようになりました。 

20b90081.jpg

 2003年海上自衛隊の式典に参列するため、1人の老紳士が初めて日本の土を踏んだ。
84歳という高齢に加え心臓病を患っているというのにだ。
元イギリス外交官でサーの称号を持つサムエル・フォール。
彼にはどうしても日本を訪れたい理由があった。


日本の武士道に世界が感動。大戦中、敵兵を命がけで救った日本海軍

    
こちら  (<-クリック)

My lucky life

敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
この記事のURL | 韓国を知る旅 & 韓国ドラマ | Comment(6) | ▲ top
今日の散歩... 親日パラオにまつわるお話
- 2019/03/08(Fri) -
 * このシリーズの休憩タイムにふさわしいツイを昨日みかけました。   
   下 がパラオの位置が分かる地図です。 何故こんなに親日的な国なんでしょう?

img14661_150227-00map.jpg

 中東、東南アジアで全て現地取材をして 中国・韓国の捏造歴史戦について本を
二冊書いている元アメリカ陸軍特殊部隊員(現在はジャーナリスト)が、東南アジア
(中、朝鮮半島のみを除く)各国はとても親日的であることを日本人は知ってほしいと
言っています(詳しくは別記事に書く予定)純粋の日本人陸軍、海軍兵士がどう
現地の人に接していたか? いろいろな体験を実際に第二次世界大戦の時に生きていた
方、その子孫に取材して書いています。 

 パラオの大統領が現在、来日中ということで、twitter があがったようです。 

実は、パラオ、ベリリュー島で実際にあった、現地の人と日本陸軍の本島の話
私も、昨年初めて知りました。 
こちらのリンクに飛んで、是非、読んでみてください。

   パラオ、さくらさくら

 その他の理由として、いつかも書いた記憶がありますが、韓国の建設会社が建立した
橋が崩壊した後、(同じく崩落したソウルの聖水大橋を作った)会社が、計画倒産して
韓国政府からも何の支援もなく、困り果てたパラオ政府が日本政府に頼んで、日本は
無償で橋を立て直したという経緯も、大きな影響を与えていると思います。

(詳しくは こちら) ラオスのダム崩壊も調査結果がでた時、どう対応するのか
注目!です。 やっぱり民間がやったことだから~になりそう.....

新橋の記念碑

Japan_Palau_Friendship_Bridge.jpg

2002年1月、日本の政府開発援助 (ODA) によって再建されたエクストラドーズド橋。
正式名称は「日本・パラオ友好の橋(通称:日帛友好橋)」という (Japan-Palau
Friendship Bridge) 。設計上の耐用年数は50年である。

パラオ政府が財政的な理由[1]から自国の資金による建設を断念したため、1997年に
日本の無償援助による橋の再建を決定し鹿島建設によって再建された。

旧橋と同じ位置に建設されたが、旧橋のコンクリートが低品質であったので、
旧橋残存部の再利用はせずに、一から建て直すことになった。 5年後の2002年1月に
橋は完成し、1月11日には開通式典が行われた。この新しい橋のたもとの記念碑には、
日本・パラオ友好の橋 (Japan-Palau Friendship Bridge) と刻まれ、両国の国旗が描かれている。

* パラオの国旗は日本の日の丸を少しだけ 円をずらしてデザインされたものなんです。
その理由は、 うえの さくら さくら のリンクに書かれています。 


800px-Japan-Palau_Friendship_Bridge_3.jpg

 60年以上もたって初めて知る英国海軍を助けたことを子孫さえ知らなかった、日本人
海軍大将のお話しも書きたいです。そうした実際にあった話しを知ることで、私達が生まれて
いなかった時代の日本人がどんな人達だったか、当時の外国はどのように見ていたか、
私達はあまりに知らないことが多いと思います。 今は亡き 渡辺昇一先生の書かれた
日本は侵略国家ではない!>という著書を読みながら、今からでも遅くない、もっと近代の
日本が歩んできた道を知りたいという気持ちになっています。 

 
この記事のURL | 韓国を知る旅 & 韓国ドラマ | Comment(4) | ▲ top
今日の散歩.. 半島の歴史 ⑦ 進化する竹島問題の戦慄
- 2019/02/19(Tue) -
 本屋さんでは今話題の本はおいていますが、回転が速いので、以前に書かれた本は図書館
で探すのがベストです。アマゾンでも買えますが.. 図書館がいいのは、ぶらぶら書棚を
見ている時、おもいがけない発見、いい本に出合えることです。 この本がその一つです。
今日は <竹島>の地図上での位置、そして領土権、半島の思惑についてこの本と別の本
からもご紹介したいと思います。

朝日新聞が報道した日韓併合の真実

 引用 

 新聞資料は生き生きと日韓併合の本当の現実を伝えている

 あなたは、「近代朝鮮半島の歴史」と聞くと、つい条件反射的に暗い気分に
させられませんか?それは、戦後生まれての者にとって、ごく一般的で自然な
反応です。 

 半島の歴史を正しく伝える書籍、資料がGHQ占領下で焚書され、国立国会
図書館や国立公文書館にもほとんど残されていないこともあって、日本人は
長い間、正しい情報から遮断されていたからです。 テレビや新聞、そして
歴史教科書など見るものすべて、日本が朝鮮半島を統治していた時代を
悪政の限りを尽くしていたと表現してきました。 日本が統治していた時代の
朝鮮半島の日常的な風景は、実際どうだったのか。それを本書で明らかに
できるようになったのは、国立国会図書館で戦前の資料調査をしていた過程で、
朝日新聞地方版のマイクロフィルム 「大阪朝日新聞・朝鮮版」
がたまたま見つかったからです。 戦後、謎に包まれていた 1937年から
1945年までの戦前の朝鮮半島の実態がこの資料により提示できるようになりました。

(* 戦前の朝日新聞は、今とは姿勢が違っていたようです) 

< やっぱりあった! 「竹島は日本領」を示す韓国の古代地図 

 (*意識して求めないと私達日本人がハッキリと根拠を持っていない歴史問題の
一つが<竹島>だと思います。 韓国の地図、<大韓地誌>を見たのはネット
ではなくて、本の中でした。 それによると、京都にある国立国会図書館関西館
に所蔵されていたそうです。) 
 
 まず、竹島の位置は東経131度52分 

 大韓地誌は1899年、韓国人歴史家、玄菜が監修発行(この時は、韓国と
日本は、併合の前に結ばれた保護条約 1905年も結んでいない時期である
ことが重要です)したものです。すなわち、日本の圧力とか影響がまったく
ないと言える時点で作成された、韓国の地図です。 それによると

 “わが大韓民国の位置は、アジアの東部にあり、シナの東北部から日本海
(*これも重要、今声高に叫んでいる東海とは表記していません)
と黄海。渤海の間に突出した半島国で、北緯33度15分より42度25分に
いたり、東経(英国グリニッジ天文台を基準とする)124度30分より130度35分に
至り, 東は日本海を界とし、西は黄海に浜し、南は日本かいと黄海を望み、東南は
一海峡を隔てて日本の対馬と相対し……………. “ と記載されている。 

 竹島の位置は東経131度52分であり、ここに記載されている「わが大韓民国」
には含まれていない。
 また、1947年発行の「朝鮮常識問答」は1965年に相場清訳で
復刻版が出ているが、その中でも韓国の日本海側領海を130度56分23秒と記述
しており、竹島は含まれていない。 
 さらに、「大韓地誌」では対馬も明確に日本領とし、最近韓国側が問題にしている
東海も「日本海」と表記されている。 



7朝日竹島含まない韓国の古代地図
この記事のURL | 韓国を知る旅 & 韓国ドラマ | Comment(4) | ▲ top
今日の散歩.... 半島の歴史⑥ 朝鮮戦争はなぜ長期化したか?
- 2019/02/07(Thu) -

 日曜日の夜 NHK 地上波で<朝鮮戦争>について中国の研究家の資料をもとに放送
していました。やはり、戦争を引き起こした当事者の二か国の責任より、米中旧ソ連の
大国の思惑が中心で、まるでアメリカ軍が朝鮮半島を焦土化したかのような内容で愕然と
しました。一つ驚いたことは、1950年6月25日、北朝鮮が38度線を超えて
ソウルは3日間で陥落するのですが、既にその二日目に初代大統領の李承晩が、日本の
山口県に臨時政府を置きたい
、6万人の南朝鮮関係者の滞在引き受けを山口県に打診
してきたこと、初めて知りました。当時、半島と日本は国交断絶状態、反日の李承晩は
日本語の使用禁止までしていたのに、その日本に戦争勃発たった二日後で逃げようとして
いた事です。 
こちらにも詳しく ありました。

 さすが…. 上海臨時政府要人とはいえ、李承晩は統治時代はハワイに住んで
いたのですから… 呆れます。なお、この人はソウルから逃げる時も、市民も逃げるために
まだわたっている橋を爆破させた人物。北朝鮮が漢江を渡れないようにしたつもりが、
鉄道は(日本が統治時代に築かれた)爆破するのを忘れたので、鉄道を渡って北朝鮮は
釜山まで南進を続けられたというオチがついてます。代々、半島の為政者は国難の時に
真っ先に逃亡して国民を助けることはしなかった…古代国家ならいざ知らず、20世紀
1950年、自分たちが民族統一に団結できずに分裂しても足りずに、北からの南進で始まった
朝鮮戦争も、3か月で休戦できたのが、この李承晩が38度線から北侵に踏み切った
が故に、3年にわたって長引いて、南北朝鮮、米軍、中国軍に甚大な犠牲者を生むこと
になるのです。 


 犠牲者数: 米軍を中心とした国連軍、人民義勇軍(中国人民解放軍)
 韓国、北朝鮮人民軍 180万人の兵士が死傷(アメリカ側の推計)
 朝鮮半島の民間人犠牲者は400万人以上
 
合計 580万人

この記事のURL | 韓国を知る旅 & 韓国ドラマ | Comment(2) | ▲ top
今日の散歩 ⑤....ちょっと一息 <日本国民に感謝します>
- 2019/02/03(Sun) -

 今日は、このシリーズのちょっと休憩タイム、ほっとする、あるいは韓国人の
本当の声に耳を傾けられる話題もたまには入れたいと想い、違った目線で書いています。

  <週刊文春>が新年号で扱っていた、元慰安婦の方々が、韓国挺身隊問題協議会
を、自分たちを政治的に利用し、利益を得ていると訴えた事があるという記事を
掲載していたのですが、オンラインでその記事を購入する事ができました。
(T ポイント 108で購入できます)無断掲載はできないので、興味ある方は
こちらで  

 大切な要点だけ

 大多数の方が村山首相時代に設立されたアジア基金(1995年開設、2007年解散)
に感謝し、お金を受け取ろうとしたけれど、挺隊協が猛反対、嫌がらせまでした事実。
今回の合意と同じ結果。 2015年の合意では、前大統領の決断にハルモニたちは
感謝の手紙まで書き、これ以上両国関係の棘にならないようにという願いを
もらした方もいたことなど、文春記者に<匿名>を条件に語った、非常に興味深い
記事です。今回ももっと待てば倍もらえるからと、挺隊協が妨害しようとした
けれど、今回は47名のうち34名の方が受け取り、P大統領に書いた手紙の
中では、このような言葉まで実際に書いているそうです。
 
財団の10億円は日本国民の税金から出たお金。日本国民にも感謝します

 従って、今聞こえてくるのは、本当のハルモニたちの心でも言葉でもなく、
彼女たちを政治的に利用するだけの団体の声でしかないのです。現職政権になって
から、<いやし財団>の理事長は子供を含めて様々な暴力的嫌がらせを受けたが
故に、辞職した言う事実も知りました。今声高にアピールしているハルモニ達は
過去の発言がコロコロ変わり、韓国人の間でも疑惑視されている人達です。 

 最後に、記者は最初に 1991年に身分をあかして名乗り出た、今はなき
キムハクスンという方のお墓にお参りしました。 

金学順は慰安婦問題の象徴的な女性となっているが、名乗り出た背景には恋人
だった日本兵に再会できるんじゃないかという淡い気持ちもあったそうです。

亡くなる前も『日本のお金で元慰安婦が住める施設を作りたい』と話していた。
墓碑の遺言は無理やり言わされたか、もしくは後に創作されたものではないか」

 亡くなられてからも利用され、墓碑に勝手に <日本の金は受け取るな>と
書かれているそうです。

 記事はこのように締めくくられています。

「元慰安婦の一人ひとりに悲しい歴史があり、それに対する正確な検証と真摯な
反省は必要だ。だが運動家が事実を歪め続ければ、正しい検証や反省をする機会は
潰えてしまう。」

             :::::::::

 まさに、<帝国の慰安婦>も同じような慈愛に満ちた、でも冷静客観的な
姿勢で執筆された本なのに、今は発禁です。 

 勇気をふるって名乗り出た理由が、同じ女性として何とも切なく、逢えなかった
ことが惜しまれます。 おそらく既に亡くなられていたのかもしれないですし
名乗り出ることもなかなかに難しかったことも理解できます。 

この記事のURL | 韓国を知る旅 & 韓国ドラマ | Comment(4) | ▲ top
| メイン | 次ページ