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今日の散歩ー半島の歴史23  7奪② ハングルを奪った?
- 2019/09/05(Thu) -
  韓国が主張する7奪説、その② 「国語を奪った」への反論 (松本國俊氏の
    ほんとうは日韓併合が韓国を救った)より 


       これこそ突っ込みどころ満載なので (*)に個人的な感想を書いてます。
       両班は漢文を、庶民には教育は一切なかった李氏朝鮮、どなたがハングルを
  広めたの? 戦後に普及させたの? これを丸呑みできるって韓国人は
  ナイーブすぎると思います。7奪は全て突っ込み満載なんですが....

       本論入ります。
  
  小学校教科書では<日本はわれらの誇り高いハングルを使わせなかった>と書かれ
 ” 朝鮮語でしゃべれば一語一銭で罰するぞ” という風刺漫画が載せられています。

  ↓ (*子供からお金巻き上げる訳ないでしょうね💦 もっと巧い嘘をついたら?)

併合時代資料_ハングル1

 (*一番最後に、蛮行を犯した日本とどう向かいあうか討論してみよう!とあります。
 いわゆる デイベイトで、どう口で戦うか、子供時代から鍛えられています。これは強味と
 いえるでしょう。信じ切っていれば強く出られます。それが洗脳..疑問や揺らぎを感じなく
 なります。)

 国定中学校教科書では、<韓国語を禁止し、日本語だけを使うようにして、我々の
 歴史の教育も禁じた。ハングルの新聞も廃刊させ、言葉と歴史に対する研究も禁止させた
” 

 韓国だけではなく、日本の中学校歴史教科書として日本で最も多く使われている
 「新しい社会歴史」(東京書籍 平成13年検定済)にも 

 ” 学校では朝鮮史を教えることを禁じ、日本史や日本語を教えて、日本人に同化させる
 教育を行いました
 ” とあるそうです。 

 前出の「悲しい歴史の国の朝鮮人」宮脇氏の著書によれば、
 
 日本語ができる朝鮮人がどれぐらいいたかというと、日韓併合後30年、1941年になっても
 日本語を ” やや理解する ” ” 普通会話ができる ” 人は全人口の 16%、390万人
 しかいなかったにすぎないとあります。 残りの日本語が話せない人に日本語を強制した
 こともありません。 1945年の日本敗戦の放送も、朝鮮全土でアナウンスは両国語で
 やったことが記録として残っています。
 

 さらにモンゴル研究化の宮脇氏によれば、李氏朝鮮で開発された「訓民正音くんみんせいおん」
 は、朝鮮時代にはハングルと呼ばれていないそうです。 「諺文おんもん」と言われていた、
 すなわち、卑しい文字という意味ですから最初から歓迎されていない呼び方だった.. 
    ハングル(偉大な文字)という意味で呼ぶようになったのは 20世紀、すなわち日本が
 つけた名称です。(*これは大変、日帝の痕跡を消したい韓国、ハングルと呼んじゃダメ^^) 


 ハングルの成立の歴史 - モンゴルのフビライ・ハーンがチベット人の高僧パクパに命じて
 創らせた 「蒙古新字」でチベット語を縦書きにした表音文字がパクパ文字。 パクパ文字
 は母音、子音とに分けて縦に書いて、あらゆる発音を表記できるようにしたアルファベット
 なのです。 
 
 高麗の王子はモンゴル王族の娘と必ず結婚させられ、モンゴルの宮廷で暮らし、父親の王が
 なくなった後に、高麗に戻って国王に即位するしきたりだったので、朝鮮半島は、この
 チベット文字由来のパクパ文字に親しんでいたはずなのです。 その後、李氏朝鮮の
 四代目の世宗(セジョン)が訓民正音を公布します。これがハングルの原型です。
 
 しかし、両班階級はこれを卑しい文字 「諺文おんもん」として拒否、下層の人間に
 文字を教えたら、両班の特権がなくなって困るからです。そこで、朝鮮の上流階級の女性
 がシナの小説を読むために諺文を使ったのです。

 公式文書は全て漢文で諺文おんもん、つまりハングルを使って自らの歴史や文学を著した
 文献はありません。19世紀になってヨーロッパと日本の言語学者が漢字を違う音で
 読むというこの文字に興味をもって、文献をあらいざらい収集したので、朝鮮半島
 李氏朝鮮時代の諺文(ハングル)の文献はひとつもないそうです。 


   松本國俊氏によれば

 李氏朝鮮時代の学者はハングルで書かれた文章を読むことさえ恥辱だと思っていた。
 さらに朝鮮が独自の文字を作ることは宗主国への反乱を意味するという危惧もあり 
 第十代国王の代では禁止されていた。 


 そのような捨てられた文字を、福沢諭吉が再発見したのです。維新後、朝鮮との交流が
 始まると、福沢は朝鮮の近代化に情熱を燃やし、慶應義塾に多くの留学生を受けれると
 ともに、自ら朝鮮の歴史を文化を学んだ。

 そこで彼はハングルに着目し、「日本の漢字仮名まじり同様、ハングルを駆使すれば
 何回な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに
 役立つはずだ」と、漢字ハングル混合を提唱した。さらに私費でハングル活字を作り
 福沢の弟子で後に衆議院議員となった井上五郎は、この活字を用いて朝鮮最初の漢字
 ハングル混合文による新聞「漢城週報」(*漢城はソウルのこと)を1886年(*日韓
 併合よりずっと前です)に発行した。
 朝鮮におけるハングル文字出版の始まりで
 あった。
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